小田山の思い出

 畑と木工が忙しくて、と言うより夏バテ気味で、お山は断念。
 そこで岡山の山MLの皆さんのHPを拝見していたら驚いた。やまもとさんの記録
 広島県の山の中に小田山に登られた記述を見てーー。

 私は少年時代をこの山の麓(やまもとさんが登られた反対側)で育ったので懐かしい
 
 この山は平凡で当時は西条農高の生徒か西条営林署の関係者が入る程度で一般の
 登山客は無かった。最も当時は終戦後で余裕も無かった時代だからーー。

 一度、小型飛行機が衝突・墜落した時は大勢の人が登ったぐらい。

 私がこの山に登ったのは中学にあがった頃で、近所の人が小田山の中腹で炭を焼いており
 アルバイトで炭俵を2俵背負子でおろしていた、ついでにーーー。

 その頃、放送局が中継基地をつくる調査で木製の櫓を組んであった。
 然し登れなかった、怖くて 親友の弟が一人登ったが大した事は無いとーー。
 今なら広島大学のキャンパス等が見えて良いかもしれないが櫓はなくなっているだろう。

 小学生の頃、よく登った山は小田山の東のピークで地元では狼谷と呼んでいた山で
 当時は爆撃で禿山であった。
 小学4年の時に初めて登った、当時、ガスとか電気調理器は無くて煮炊きは
 カマドでマキを燃やしていた。

 着火の為のコクバ(松の枯葉)を収集するのは子供の仕事で方法は
 山に入り熊手でかき集めメゴ(竹で編んだ丸い籠に背負いベルト付き)に入れて
 持ち帰った。

 ある時、作業終了後にテッペン(山頂)へ行こうと登った。
 当時の履物と言えば藁ぞうりであったが5合目ぐらいから禿山で問題なかった。

 山頂は360度、展望出来て南側は海(三津口湾)が見え感動した記憶がある。
 後年、広島へ出てから2~3度登ったが、この前墓参に帰った時に弟に聞いたら
 今は、薮漕ぎしないと登れないと言う。

 故郷の山 小田山に登って下さった、やまもとさんに感謝ーーー。